ウェブサイトのサイト名を “Healing Kiyo” としたのは英語では “Healing Kiyo” は「癒しのきよ」という意味もあれば、「きよの癒し」という意味もあるからです。性暴力を被った人が批判や偏見を恐れずに体験を共有し、回復に役立つ概念や実用的な手段、修行などを交換し合い、お互いに支えながら成長する、いわゆる「ピアサポート」の体制をとるウェブサイトに相応しいサイト名かと思いました。

このウェブサイトを維持することは明らかに「きよの癒し」(つまり、私の癒し)につながりますが、厳密に言えば、「癒しのきよ」は言い過ぎでしょう。私はカウンセラーでも精神科でもありません。トラウマからの回復には熟練したセラピストが助けになることはしばしばありますのでカウンセリングを受けることをおすすめします。でも、専門家と話されていても、その方以外のサポーター(例えば友達・家族、対面またはオンラインの支援グループや組織など)はあなたの回復に有力な支えになるかもしれません。そのような支援になりたいと思ってますので、ここでの “Healing Kiyo” は「癒しのきよ」より「癒しに寄与しようとするきよ」と言った方が相応しいかもしれません。

ここで共有して行きたいと思う内容の中心はアフリカ系アメリカ人から教わったレジリエンスです。常に軽蔑される世の中に暮らす彼らが見出した知恵や洞察は圧制的な制度に圧倒されないための有用な知識だと思います。性暴力というのは権力の差がある環境で起こることで、そういう社会構造に抵抗し、変えていこうとする我らにアフリカ系アメリカ人の人生経験は貴重は資料だと思うからです。

Andrew Sung Park 先生の本 The Wounded Heart of God: The Asian Concept of Han and the Christian Doctrine of Sin (神の傷つけられた心:東洋の「ハン」という概念と「罪」についてのキリスト教の教理)から教わった「恨(ハン)」と言う神学的概念にも基づきます。「恨(ハン)」は訳し難いそうですが、不公正や抑圧による精神的、心理的内破、絶望、自己嫌悪なども含む、最近一般社会でよく聞く外傷後ストレス症候群に似た概念です。パーク先生は一般に普及している西洋のキリスト教は圧制者の罪滅ぼしのみに注目して、圧制の被害を受けた人の苦しみは無視していると批判されています。

最近、トラウマからの回復の当事者は “safe space” でなく “brave space” を作ることに力を入れているようですが、それは暴力の体験に立ち向かうことは必ずしも “safe” とは言えないからです。体験を再現してしまうとか不適切な質問や感想による二次的加害に遭う可能性があるのです。(故に、トラウマケアに熟練のセラピストにつくことは大切だと思います。)でも、体験に立ち向かうことは回復への有力な手段となることがあり、これには勇気が必要です。そのような “brave space” の一つとしてこのウェブサイトをつくりました。皆様のプライバシーを守るためにご質問やご意見をまずこちらからお送り下さい。総称的な応答ができることでしたらそうします。ご質問やご意見を引用した方がピアの皆様にわかりやすい場合は前もってメール交換でご相談します。どうぞよろしくお願いいたします。