アフリカ系アメリカ人から見習った知恵とレジリエンス その1

(このような知恵はアフリカ系アメリカ人だけのもではなく、例えば黒人みたいに圧制されてきた先住民にもありますが、肝心な時にたまたま人生を改革する手段を習ったのは黒人のキリスト教徒でしたので、彼らから教わったことを述べます。)

奴隷制度は一応1865年に廃止されたはずですが、さまざまな形でいまだにアフリカ系アメリカ人は圧制されています。400年以上もあらゆる面で抑圧されながら暮らしてきた彼らは挫けずに生き残るために色々有力な対策を使います。

例えば、黒人の教会で最も愛されている讃美歌の一つは Thomas A. Dorsey 作詞・作曲の Precious Lord 「愛する主よ」です。

Precious Lord, take my hand
愛する主よ、手をとってください

Lead me on, let me stand
導いて立たせてください

I am so tired, I am weak, I am worn
疲れ果てて弱っています

Through the storm, through the night
嵐の中、闇の中

Lead me on by the light
光で導いてください

Take my hand, Precious Lord
愛する主よ、手をとってください

Lead me home
本国へ導いてください

もう一つ大好きな讃美歌で Thomas Moore 作詞の Come Ye Disconsolate 「悲しき者よ、来れ」があります。コーラスでこのように歌います:

Here bring your wounded heart
傷つきし心をこちらへ持ち行きたまえ

Here tell all your anguish
汝の悩みを伝えたまえ

Earth has no sorrow that heaven cannot heal
神の癒せぬ悲しみはこの大地にあらじ

“God sits high and looks low” 「神は高き所に座り、低き所を見たもう」と言うことわざもあります。最も重大な神様が取るに足らない我らを見守ると言う意味です。

このような歌詞やことわざのほかに教会のメンバーの証しもしばしば聴きました。家賃がなくて家から立ち退かされそうになった時に思いがけないところからお金が送られてきたとか、食費がなくて子供たちの夕食に困っていた時にちょうど近所の人が「余分に作ったけど、食べない?」と言ってカセロールを持ってきてくれたとか。

このような体験やお説教・バイフルスタディーなどを聴いているうちに分かってきたのはアメリカの主流社会に軽んじられていル彼らを宇宙を支配される神様が大いに構っていらっしゃると言うことでした。それを基に、世間がどう言おうと自分は神に愛されている子だと確信し、自尊心、自負心を持って堂々と世の中で活動する姿を目撃し、今でもしばしば見ます。そして、よく法話やバイフルスタディーで教えられることは周りの苦労している人たちの助けになるためには自分の悩みや悲しみを神様に癒していただくための心の中の整理が必要だということです。つまり、自分の苦労や悩みを気にすることは必ずしも自己中心的ではないと言うこと。

自分もその世間に軽視され、神様に大切にされている一人だと分かるまで、そして親や社会がどう言おうと自分の気持ちや夢を尊重していいと言えるまでは何年か掛かりましたが、神様がこのように哀れみ深いお方だと宣言するゴスペル音楽やお説教を聴きながら少しずつ心が癒されました。

当時、よく聴いていたゴスペルグループは Luther Barnes and the Sunset Jubilaires でした。彼らの穏やかな歌声に心の緊張が解されました。

Precious Lord

Come Ye Disconsolate / Jesus Will Carry You Through

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Wisdom and Resilience I Learned from African Americans - Part 1